アメリカの移民政策と多文化共生の課題
2025年1月、トランプ新政権が発足し、移民政策の厳格化が再び進められている。就任直後、トランプ大統領はメキシコとの国境警備の強化を発表し、不法移民の即時国外退去措置を拡大する大統領令に署名した。また、移民ビザの発給制限や庇護申請の厳格化など、多くの政策が2017年から2020年の第一期政権時の方針に回帰しつつある。これにより、アメリカ社会における多国籍文化のあり方は再び大きな影響を受けようとしている。現在、私が暮らしているニューヨークは、アメリカの中でも特に多国籍の人々が集まる地域である。地下鉄に乗ればさまざまな言語が飛び交い、レストランでは各国の料理が楽しめる。多様な文化が共存するこの街では、自身が外国人であることを強く意識することはほとんどない。しかし、連邦政府の移民政策が厳格化することで、このような環境にも変化が及ぶ可能性がある。
雇用・医療分野における法制度とその限界
アメリカでは多国籍な社会を支えるための法制度や社会インフラが整備されている。例えば雇用に関しては、1964年に制定された公民権法により、人種・宗教・性別などによる雇用差別を禁止している。また、1965年の大統領令11246号が連邦政府契約企業に積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)を義務付けており、人種、肌の色、宗教、出身国に関係なく、採用や昇進において平等に扱われるよう仕組みが整えられている。アファーマティブ・アクションは、多様な人種や背景を持つ人々の社会的平等を推進する手段として評価されている一方で、特定の集団を優遇することで他の集団が不利益を被る可能性があるとする逆差別の懸念や、個人の能力や成果よりも人種や性別が重視されることで、公平性が損なわれるとの指摘があるのも事実だ。
インフラ面では、多言語社会に対応するためのサービスが各所で提供されている。例えばニューヨーク州では、医療分野において英語が十分に話せない患者(LEP:Limited English Proficient)に対し、医療機関が無料の通訳サービスを提供することが義務付けられている。具体的には、ニューヨーク州の公式医療保険マーケットプレイスである「NY State of Health」では、通訳サービスが必要な場合、顧客サービスセンターに連絡することで無料の通訳サービスを利用できる。 しかし制度としては整っているものの、実際の利用率については具体的な統計データが見当たらず、十分に機能しているのかどうか疑問である。私もこれまでいくつかの病院を受診したことがあるが、通訳サービスを利用したこともなければ、病院から案内されたこともない。試しに、病院への予約時に何度か通訳サービスをリクエストしたこともあるが、いずれも受診時に通訳サービスに関する案内や説明をされたことはなく、利用に至らなかった。実際ニューヨーク州において、LEP患者が適切な通訳サービスを受けられず、医療機関を訴えるケースが報告されている。このように、医療現場において無料通訳サービスが義務付けられているにもかかわらず、医療機関側の認識不足やリソースの制約、患者自身がサービスの存在を知らない等、様々な課題が見受けられる。
教育面における異文化理解へのアプローチ
多文化社会における共生には、教育現場での異文化理解と多言語対応が不可欠である。アメリカの公立学校には英語を十分に解さない生徒も多く、2021年秋時点で公立小中高校の生徒約530万人(全体の約11%)が英語学習支援を必要とする英語学習者(ELL)だった。このため、多くの学区では英語習得を支援するESL(第二言語としての英語)クラスや二言語教育プログラムが用意されている。例えばニューヨーク市の公立学校では生徒の家庭内で180以上の言語が話されており、保護者向けに複数言語での通訳・翻訳支援が提供されている。教育現場で児童・生徒とその家族を言語面で支えることは、教育機会の均等を実現するとともに、彼らが新しい地域で生活する上で必要なスキルや知識を身につけ、周囲のコミュニティと円滑に関わりながら生活できるようになるために不可欠な施策である。また、多文化共生には言語支援のみならず異文化理解教育も重要である。カリキュラムに世界の歴史や文化、多様性に関する教材を組み込み、学生が異なる背景を持つ人々への理解と尊重を深める取り組みが各地で進められている。教育現場だけでなく地域コミュニティにおいても多文化共生のための学習機会が提供されており、以前私は近所の公立図書館が開催する英語教室(ESL)に通っていたが、英語教室のみならず、市民権取得講座、多文化交流イベントを開催するなど、教育と地域支援を通じて多文化社会における共生が図られている。
トランプ政権の移民政策と多国籍文化への影響
2025年に発足したトランプ新政権は「アメリカファースト」を基本理念に掲げ、アメリカ国民と国内産業を最優先すべく様々な政策を推進している。移民政策についても第一期政権時の政策をさらに強化し、大規模な規制強化を打ち出している。
まず、2025年1月20日に発令された「アメリカ国民を侵略から守るための措置」(大統領令14159号)により、不法移民の即時強制送還を拡大する方針が示された。それに伴い、連邦政府の移民取締機関である移民・関税執行局(ICE)および税関・国境警備局(CBP)の職員の増員が指示されたが、その具体的な規模や実施状況については今後の動向を注視する必要がある。さらに、地方自治体が「サンクチュアリ・シティ(聖域都市)」として不法移民を保護することを制限する措置が提案されており、これに従わない自治体への連邦資金の停止が検討されている。聖域都市とは、不法移民の強制送還を支援しないことを政策として掲げる都市のことで、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの大都市が該当する。特に、移民政策に寛容なニューヨーク州やカリフォルニア州では、連邦政府との対立が激化する可能性がある。しかし、この措置に対しては複数の州や自治体が憲法違反を主張しており、訴訟が提起される可能性がある。
このように、トランプ大統領は不法移民に対して厳しい姿勢を示しているが、一方では合法的な移民については歓迎する発言を行っている。しかし実際には、合法的な移民にも影響が及ぶ可能性のある政策もいくつか散見される。
まず雇用面において、H-1Bビザの発給制限を強化する方針が打ち出された。H-1Bビザとは、IT、エンジニアリング、金融、医療、研究などの分野で働く高度な専門職に従事する外国人向けのビザであり、インド人が78%とその大半を占め、次いで中国人が約10%を占めている(2023年度データ)。GoogleやMeta、Amazonなどのアメリカを代表するビッグテック企業はこのような優秀なアジア出身のエンジニアによって支えられているにもかかわらず、ビザ発給制限により優秀な海外人材の確保が難しくなると懸念されている。また、2025年2月1日に発令された「英語をアメリカの公式言語として指定する大統領令」では、前述の医療機関による無料の通訳サービスや、教育現場における言語支援に影響が及ぶ可能性がある。行政機関や立法機関などの連邦機関や、医療機関や教育機関など連邦資金を受け取る組織において、英語以外の言語でのサービス提供の義務が緩和される方針が示されている。具体的には、政府が提供する福祉関連書類や税金申告書などの各種書類の多言語翻訳の減少や、医療機関における無料通訳サービスの削減、また公立学校の保護者向け通知や案内、生徒への多言語サービスが縮小される可能性が高まっており、各州の対応によって実施状況が異なるとみられる。
このように、2025年に発足したトランプ新政権の移民政策は、不法移民に対する厳格な取り締まりを中心としつつも、実際には合法的な移民やアメリカ社会を支える多国籍文化にも広範な影響を及ぼす可能性があり、今後の政策動向と社会への影響を注視していく必要がある。
多文化社会の未来と課題
アメリカは建国以来、世界各国からの移民を受け入れ、多様性を基盤とする社会を築いてきた。移民は経済成長や技術革新に貢献し、文化の発展にも寄与してきたが、一方で各時代の政権によって移民政策は大きく変化し、受け入れと規制の間で揺れ動いてきた。2025年のトランプ新政権は、不法移民の厳格な取締りを進めるとともに、合法的な移民に対しても影響を及ぼす政策を打ち出している。私は日本からアメリカへ移住し、多様性あふれるニューヨークで生活する中で、多文化共生の重要性を肌で感じてきた。しかし、政策の変化によって移民の生活環境が厳しくなる現実も目の当たりにしている。今後、州政府や企業、教育機関などの対応によって、アメリカの多文化共生のあり方が左右されるだろう。
文:山口友妃慧(Furusapo:ふるサポ ニューヨーク駐在員)
参考:Reuters: “Trump’s early immigration enforcement record, by the numbers”(https://www.reuters.com/world/us/trumps-early-immigration-enforcement-record-by-numbers-2025-03-04/)、New York Post: “Trump admin moves to close Biden-era ‘humanitarian parole’ loophole for 500K migrants from Venezuela, Haiti and other nations”(https://nypost.com/2025/03/04/us-news/trump-moves-to-close-humanitarian-parole-loophole-for-500000-migrants/)、The Guardian: “Trump’s blitz of new policies gives anti-immigration beliefs a troubling platform”(https://www.theguardian.com/us-news/2025/jan/21/trump-immigration-policies)、Affirmative Action, EEO, and DEI(https://www.theguardian.com/us-news/2025/jan/21/trump-immigration-policies)New York State of Health(https://info.nystateofhealth.ny.gov/)、米国における医療通訳とLEP患者(https://jaits.jpn.org/home/kaishi2004/pdf/07-07-ishizaki_nishino%28final%29.pdf)、Trump signs order designating English as the official language of the US(https://apnews.com/article/trump-english-national-language-d4b000e593ae7db2ac8264a6dbc5078f)、Executive Order on Enforcement of U.S. Immigration Laws(https://www.aila.org/library/president-trump-signs-executive-order-protecting-the-american-people-against-invasion)、Appeals court won’t lift block on Trump’s executive order attempting to end birthright citizenship(https://apnews.com/article/birthright-citizenship-immigration-trump-lawsuit-adbcd235c6594a9019fa752dabd08104)、米国土安全保障省、H-1B就労ビザ申請プロセス緩和と承認迅速化への最終規則発表(https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/12/cbe2a4edf75ab3b8.html)、米大統領が学校選択拡充命令、「反米的」教育への連邦予算停止(https://jp.reuters.com/world/us/P6KMO5KXIVKJVA3B3QM7BZRFAE-2025-01-30/)、English Learners in K-12 Education by State(https://www.migrationpolicy.org/programs/data-hub/charts/english-learners-k-12-education-state#:~:text=In%20Fall%202021%2C%20more%20than,12%20student)、NYC Public shool(https://pwsblobprd.schools.nyc/prd-pws/docs/default-source/default-document-library/enrollment/36504-ps-you-issue-44—language-diversity-english.pdf?sfvrsn=838525d4_2#:~:text=Our%20Schools%20Speak%20Your%20Language,Last)、India says US H1B visas benefit both countries after Trump, Musk backing(https://www.reuters.com/world/india-says-us-h1b-visas-benefit-both-countries-after-trump-musk-backing-2025-01-03/